2010年にスマホ普及の流れで憂いていた事
スマホの普及で価値観や常識がかなり変わっていったように思う。世間がネットの負の感情に引っ張られているのではないのかとたまに思う。
2011年1月に社会科目の小論文の課題で結局これは単なるネット批判ではないのかと思い結局提出しなかった原稿。人間ここまで馬鹿じゃなかろうと胸の内に収めた。こんなの違うよと否定したいけどそうとも言えないところがしんどい。
インターネットの急速な大衆への普及で不安に思うことがある。それはスマホの普及によって開かれたネットが一般庶民へと普及する事により起こる負の側面だ。今まではドコモやau、ソフトバンクといったキャリアのネットワークやフィルタリングによって守られているが、スマホでは PCサイトでの利用が必須となる。これまで乗っていた母艦、キャリアのネットワークとは決別してそれこそGoogleなどの自由なネットの海に放たれるという事だ。インターネットリテラシーが必要になるが、今までネットを利用してきたオタク・ギークといった人々と違い、庶民はネットに蔓延る悪意を見抜けるだろうか。
私は、こういったネットの大海が現実世界に負の影響を与える事を憂いている。人の負の感情や悪意や価値観が簡単に共有されるようになるのではないかと不安に思う。
また、当時やたら言ってた人工知能の可能性について載せておきます。当時、なんかドラえもんみたいと鼻で笑われてました。しかしながら、時代が経つにつれ、自分の思っていた構想が実現されていった事にもどかしさを感じていました。また、人工知能学会の記事とかを調べていく内に人と対話する人工知能の研究はほぼ終わり、ビジネスとしての人工知能の研究がメジャーになっているという事に、これでは人工知能が将来的に人々の仕事を奪い結果的に人類を不幸にしていくんではないかと思って人工知能から離れていったと記憶しています。
人工知能の可能性に期待を寄せたい
小学生の頃、インターネット接続機能のついた携帯電話に初めて触れました。その時、手のひらに収まるサイズの端末で、どこでも情報を収集できた事に感銘を受け、情報分野に強い興味を持ちました。
私には人工知能を活用して人々の生活の質を向上したい、向上出来るエンジニアになりたいという目標があります。
私は幼少期の頃から機械が好きで、人と機械がコミュニケーションをとり、持続的に成長できる社会を実現したいという思いがあります。具体的には人工知能を搭載したスマートフォンがパートナーの生活の質を高めていくことです。対話機能を搭載したAIアプリを内蔵したスマートフォンは高齢者の安否確認や認知症予防にも役立ち、福祉分野にも貢献できると考えています。
私は人工知能によって情報格差が解決されるような世の中に期待したいです。具体的には人工知能を活用したアプリをスマートフォンに組み込み、人々のライフスタイルに応じて色々な提案をし、生活を豊かにするというものです。それは、GPSによる移動履歴や検索結果によってその人に合ったお店や便利なサービス、コンテンツを提案するというものです。
人工知能が人と協調して世の中をより良くしていく事に期待したいです。
願わくば科学の発展が人を不幸にしないよう願うところ。